あの笑顔。 | こんなんでいいのぉっ!?

あの笑顔。

元彼のお母さんが亡くなりました。
前々から連絡を取る度に『そろそろ危ない』って言ってたんですが、
ついに11月30日にお亡くなりになられたそうです。
確か…ガンだったと思います。
私と付き合ってる当時から体調が思わしくないとか、
入院したとか言ってたんですけど…
その頃言ってた寿命より、大分長く生きる事が出来たようです。
詳しい話は聞いてないし、
メールでしか話してないんでよくわからないんですけど、
彼はこの事を聞いた時に泣いてしまったようです。

彼はお母さんが嫌いだった。
いつも私に、親の事で愚痴ってた。
付き合ってる時はまだ親と一緒に住んでて、
私と電話してる最中によく、口げんかしてた。
『クソババァ』とか『早く死ねばいい』とか、
『あいつらが居る家に帰りたくない』とかも言ってた。
私はそんな彼を見る度に、『ホントは好きなんだ』って思ってた。
だって、お母さんとの話を懐かしそうに語る彼からは、
嫌悪感なんて全然感じなかったから…。
むしろ、寂しそうだった。
多分彼がお母さんにそんな態度を取るようになったのは、
幼い頃からの家庭環境が関係してると思う。
深くは話せないけど、学生時代にいじめられていたりもしたし、
色々あって裕福な暮らしじゃなくなったから、
彼はいつもそこに引け目を感じてた。
家族間のこととか、他にも色々あった。
そうゆうのが原因で、私にもたまに突っかかってくる事もあった。
私と自分の家庭環境を比較して、いらいらしてた。

私は…彼の家に行った事がない。
正確には、彼の家を外から少し見た事しかない。
ずっと家に行きたいと言っても頑なに彼は拒否して、
その理由を教えてくれなかった。
でも私も頑固だから粘って、ある日彼の家の近くに行ったとき、
お願いしたら彼はしぶしぶOKしてくれた。
『中には入れられないけど、外から少しだけ見るくらいなら…』
都内の坂の多い住宅街の細い道を歩いて、ついた。
そこは結構年期の入った、小さなアパートだった。
貧乏で、良い家に住んでないから恥ずかしくて、
ここに越してからは友達も呼んだ事はない。
嫌われたりするのもイヤだったし、
私にだけはこんなとこに住んでる事知られたくなかったって言ってた。
でも私は彼の家の事情は知ってたし、
彼の事をもっと知って、ちゃんと受け止めて、好きでいたかった。
『お家見せてくれてありがとう。勇気出して見せてくれてありがとう。
私はあなたがどんな家に住んでたって、
嫌いになったり気持ちが変わったりはしないよ。
また1つ知る事が出来てよかった…ありがとう。』
私の作ってきたお弁当を2人で公園で食べながら、
そんな事を私は言った。
彼は少し泣きながら食べてた。そして沢山、私に寄り添ってきた。
今思うと、何て無神経な事をしてたんだろうって反省してる。
彼の複雑な心の中に土足で踏み入ってた自分が恥ずかしい。
当時私は15、6歳。
この頃から少し、人を好きになるって意味がわかってきて、
知る事や受け止める事に必死すぎたのかもしれない。
彼はそんな私をどう見てたんだろう?
それでも好きでいてくれたなんて、
何か色々思い出しちゃって泣きそうになる…。

家の中に入れなかった私は、彼のお母さんの顔を知らない。
お通夜とかもあったのかもしれないけど、
知らされてないから結局行かなかった。
電話で何度か少し聞いた声…
あれが私にとって、彼のお母さんのすべて。
彼を産んでくれてありがとうございました。

今はもう付き合ってたことは思い出でしかなくて、
会ったって、私と彼の間には何も起こらない。
私も彼も別れてから大分変わってしまったし、
あんな純粋な恋、もう出来ないと思う。
お互いもう、別な相手がいるし。
でもこうやって何かあったりすると、
あの頃の私たちに一瞬戻ってしまうんだ。
それは、嫌いになって別れたんじゃないからかな?
愛しくて悲しくて、嬉しくて切なくて…すごく沢山泣いたあの頃。
全てを捨てて彼と暮らそうと思ったこともあったし、
誰よりも大切にしたい人だと思ってた。
体で愛し合うことを教えてくれたのも彼だった。
人を想う辛さや美しさを知ったのもそうだ。
期間にしたら1年3ヶ月程度なのに、
何でこんなに沢山、当時の心でさえ思い出せるんだろう?
それほど必死に濃い時間を過ごしてたのかな。

ぼろぼろこんな風に思い出話を書いたって仕方ないけど、
あんなに人間らしい葛藤を出来てた時期を忘れるなんて勿体無い…
私は彼を好きだった。
今はもう、その度合いは違うけれど…
多分、まだ彼が好きだ。嫌いではない。

きっと彼は、1人で泣いたんだ。
…ごめんね。